ゲームをやってる人が好き

さっきアフリカ系アメリカ人と仲良くなる方法 って動画見てた
those sneakers are fire ... 稼ぎがなくてもスニーカーに金をつぎこんじまう性分ってのがアメリカの黒人らしい。
ちょっと違うけど、昔の江戸っ子みたいなもんかな。
I like your hair.... 世界で一番髪の毛を気にするのが黒人女性達らしい。これは主に女性に使う。

話変わるけど俺は自分がギャンブラーになって金を全部すっちゃうのは嫌だけど、別にギャンブルしてる人が悪い人だとは思わない。
吉田拓郎の落陽って歌の歌詞に大体同意。「あんたこそが正直者さ。」
たまに手をつけてはいけない金に手をつけてしまう人もいるのがいけないけど、それは企業の役員で趣味はゴルフと乗馬ですみたいな人でも、ちょっとしたことで懐に金を入れるのと変わらない。
ギャンブルに浪費するのと、高級な絵画に浪費するの、そんなに変わることかなぁ。これ、誰かが言ってた。
俺にはわからないけど、ギャンブラーってのはきっと、のるかそるか、一か八か、一瞬にかける情熱を燃やして、燃え尽きて、また燃えて、燃え尽きても、
まだやろうと思えるメンタルは凄いと思うし、それにギャンブルも一種のゲーム。
神のみぞ知る残酷な運命の前に、コインの裏表で決まるくらいの自分の小ささを思い知りながら挑む。
神頼み。それはババ抜きも麻雀もルーレットも同じ。実力が色濃く反映されるたぐいのゲームであっても勝つか負けるかは終わるまで分からない。
ゲームの中では、大人も子どもも役人もホームレスも関係なくなる。
誰もが平等になって一緒に遊べる。だから俺はゲームが好き、ゲームをやってる人たちの顔が好き。
ゲームは常に何かを模倣している。始まりと終わりのサイクルを繰り返しながら最終的な結果が出る。
ルールやシステムは寓意的に作られていて、(あるいは意図せずそうなって)それはまるで死者への慰め。
プレーする人間は儀式を行う者でもある、遊戯ってのは演劇であって、演劇は遊戯。
迷ったり決めたり考えたり期待したり間違えたりするのは人生の縮図みたい。
どちらも神聖なもの...なんだけど、そんなこと普段は忘れて触れている。
人間が根本的に、何かに思いを馳せる事ができる感情の生き物だから皆ゲームが好き。
ゲームなんて興味ないし って言ってる人ほどボコボコにされるとすげー悔しがってるもんだ。
本気になればなるほど、年いくつになっても、子どもみたいな顔して楽しんでる。
いいんだよ楽しかったら それで多少時間やお金を無駄にしてしまっても そう悪いようにはならないと思う。
まあ、親や他人に迷惑かけながらネトゲ廃人ってのが一線越えちゃった例だな。
それは悪いように、なるならない以前に、すでに悪いんだよなw
類は友を呼ぶから色々見てきたけどやっぱダークオーラの方が勝ってて好きになれないような人ばかり。
しかしそこから学ぶこともあったりで。

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