CSじゃなくてCSをやってる人間が好きなのでは

CSGOそのものじゃなくて、GeT_RiGhTとかf0restが好きだったんだと思う俺は。
昔living_lengendsとかいう糞古いCS1.6のフラグムービーを韓国産の無料FPSをやっていた頃に見て
何となく憧れてCSをやりたいと思っていた。
昔の海外プロゲーマーってもっとアングラ臭がやばくて、そういうちょっとハングリーな感じがすきだった。
今みたいにどでかい会場で数万人が観戦しにきてるとかも盛り上がりはあるんだけど。
何か、物事が好きって、おそらく大体全部そういう人間を動機として始まるものなんじゃないかと思う。
趣味が何も無いって人はとりあえず何か好きな物事じゃなくて、好きな人を作ることから始めたらどうかなっていう。
心の赴くままに。そしてその人を観察することから始めるのがいいんじゃないかなっていう。

最近俺は「人々そのもの」が好きになってきた。
社会は嫌いだし世の中も嫌いだけどその中に生きる一人ひとりにだけ価値が存在する。

最近、人を尊敬していないと、何も学べないことが分かってきた。あの人嫌い、この人好きってのはある程度あるけど、
やっぱり、より多くの人の良いところを探して、多くの人間を尊敬している方が、たくさんのことを学べる。
俺サマ天才!俺サマ最強!って感じだとそこで止まる。着眼点が良ければ誰よりも強くなれることはあると思うし実際それが一番大事な能力だと思う。
でも誰一人本気でやっていない分野で天才もクソもないよねっていう。しょうもないコンプレックスの裏返しで1つの分野で成功することにこだわってるんじゃなくて、皆それぞれの自分の人生の片手間にやってることなんだよ、っていう。これゲームとか仕事とか趣味とか関係無しで。
道行く、普通の人、その一人ひとりに尊敬できる部分がある。軽蔑できる部分があるのと同じように。
日常生活のちょっとした振る舞いとかジェスチャーの中で人の善し悪しが凄く分かる瞬間がある。その良いところだけ盗めるようにしたい。

人から学んで、よりよい人間に近づきたい。多くの人間に共感できるようになりたいし、味わったことのない、たくさんの気持ちや気分を味わってみたい
俺は他人に「判断されたくない」「決めつけられたくない」というのがある。
それは陰陽を問わない。つまり「この人だめだな」と決めつけられるのも「この人すっげーな」と決めつけられるのも両方同じくらい鬱陶しい。
人間はそんなふうに二元的に解釈できるものじゃない。
だから俺は自分の思考が他人に読めないようにするし、まず自分の思考を自分ですら読めていない状況にしてしまう(バカ)
俺は思考が言語的で、しかも厳密。
 そういう自覚があって、だからこそ他人のことを理解したいと思う。
それは一方通行な理解だけど、それだけで十分に興味深く、面白い。
理解してどうこうするでもなく、ただ見ていたい。世の中を鑑賞するための予備知識。

人生は眼球と脳が写す映像、どんな映像を見たいかをある程度、行動によってコントロールできるけど
それよりもまず、その映像の意味を理解したい、であればもっともっと人生を通して、人間を見ることを通して自分自身を知っていく必要があるんだなぁと思いましたまる

コメント

非公開コメント