物事を続ける勇気と辞める勇気

心の赴くままに書きました。俺はFPS別にやめるつもりはありません。

ハードコアゲーマーとカジュアルゲーマー
プロゲーマーとVtuber
CSGOとValorant Apex

右辺と左辺の両方にガチがつく。どちらにも異なるガチさがある。
さあさ張った張った皆が皆、専業主婦はガチな職業、プロの遊び人なんてのもいるし、虚業家と名乗った実業家もいてそれは単なる名刺の肩書じゃなくてその人となりを示してる。誰かが作った枠じゃなくて自分で枠を作る人もいて、何なら自分以外が通れるように
レールまで敷いた人が居て、それが今の社会を作ってる。
生粋の世捨て人、本質は怠け者、争い事そのものみたいな性格もいて、その人の天職を示す表裏一帯。
皆が知らず知らずのうちに、自分の命をその生き方に賭けてる。
この世に頑張っていない人なんていない、一人ひとりにそれぞれの一生懸命さがある。

太く短く生きる 何か理想と心中する
そういう生き方もあってそれもまた勇気

現実を生きるために夢を切り捨てることもまた勇気
そこには夢を持つ勇気が無いことはなく人間であれば誰でもちょっとしたくらい夢見ることはあってそれを本当は我慢した勇気
それもまた勇気

そのどちらともつかず、場所を行ったり来たりすること
それは慎重さと、その慎重さそのものがもたらすリスク、せめぎあう焦りと苦悩の中でもそれが正しいと信じて機を待つ粘り強い勇気

どれをいつどこで有効に使うかはバランス感覚次第。人は平均台に乗って人生を生きてる。
人は何かのプロであるとか職業人である前に、たった一人の弱い人間であってその職業人としてのキャリアはそのたった一人の弱い人間としてのキャリアにも影響される
ゲーマーであるなら人生という名の謎解きゲームにも是非真摯に向き合ってほしいところ
それが多分、選択を意味あるものに変える ゲームってのは技術だけじゃない 胆とか駆け引きの要素は何にでもある そしてそれがどんなゲームでも一番大事だから。


人生で勇気が必要なのは自己変化の時。生存するために必要な手段。
心の裏側に貯まる「動機」は降り積もる雪みたいに日々の経験が少しずつ溜まっていって地表に山を作るみたいに少しずつ人は変わる
だけどそこには見えない障害があって、人は自分自身の自我とか自己像ってものを苦労して作るからこそ、それを捨てることに勇気が必要になる。
色んな辛いこととか乗り越えて、今の自分があるわけだからさ。 知らない間に大切だったものも擦り切れて無くなっていたりもする。

心の中にある美しい景色は、それが美しければ美しいほど見ることは辛くなる。
辛い現在や苦しい過去を原動力にして動き続けてきた、後ろ向きに前に進んでいた人にはきっと特に。燃料を奪われたような気になる。
でも人は変わり続けなくちゃ生きることはできない
生きることって自分と戦うこと

代わり映えのない日常の中に嫌がらせみたいに象と徴が散りばめられて、
「明日てんきになあれ」と言って天に任せた下駄の表裏は、心の中の青空のことなのか、気持ちの中の雨雲のことなのか、思いの中の雪のことなのか、投げた時自分に言い聞かせていてそれだけ本当はあたってる。気づきたくないから「辻占なんて古いよ。当たるわけないね」って言う。
いつでも空が「お前の思い通りにはならないぞ、無様に転びながら生きろ」って囁いてる。

運命って野郎に吊られちまって長く経ち、2本の足が歩くことを忘れた頃を見計らって、がんじがらめに縛っていた鎖を、あの野郎、解き放ってきやがるのか
それとも、俺が逆らうことが大好きな天の邪鬼だからやめられないのかどっちかわからないや。
でも俺はそれが面白いと思うことにした、予想ができない所とかね。
信じているというのが近い なぜなら確かに思っても居ないことばかり起きて退屈とは無縁だったから 必要でないことばかりしていたからかもしれない

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